守り継がれた奇跡のホップかいこがね

古来、薬草、お酒の原料として栽培されてきたホップ、
現在はドイツやチェコ、アメリカがその生産のほとんどを占めていますが、

経済発展の進んだ戦前ごろから、ビールの消費が高まり、
当初は原料を輸入に頼っていた日本でも、ホップの生産が始まりました。

原産国と気候が似ている地域を中心に、栽培農家が増え始め、
neten株式会社のある山梨県の一部も、その冷涼な気候から生産地に選ばれます。
大手ビール会社の一大契約栽培先として認定されたこともあり、
最盛期には、山梨県内全域にまで栽培農家が広がりました。

昭和32年、山梨で栽培している「信州早生」の中に、
たった一つ、美しい若葉色の葉を持つ株が発見されました。

濃い緑色の中にひときわ輝くその鮮やかな色が光を受けると、
まるで黄金のように見えたといわれます(成長するにつれ、深い緑に色を変えます)。

突然変異から生まれた、偶然の賜物である唯一の株。

それは大切に培養され、
山梨県(甲斐国)で生まれた黄金のような葉をもつ株であることから
かいこがね(甲斐黄金)」と名付けられ、
昭和54年には農水省へ品種登録をするに至りました。

しかし生産の最盛期も過ぎ、外国産の安いホップに押される流れの中、
山梨県の農地も大手との契約が途切れ、徐々に離農する人も増えていき、
1994年には、栽培が途絶えたともいわれたのです。

そんな中においても、「かいこがね」の品種保存のため、
22年もの間、たった一人で毎年これを作り続け、
「かいこがね」の種を守ってきたのが
命の番人、浅川定良(ていりょう)さんでした。

(浅川定良さん(右)、お弟子さんの小林さんと)

今回販売するウッキンビールの苦味は、
浅川さんが守ってくださったこの「かいこがね」が
生み出してくれました。

近年は、そんな浅川さんのもとへ
教えを請いにやってくる若者も増えています。

“お弟子さん” の一人、20代で埼玉県から北杜市に移住してきた小林吉倫さんは
地元産の特産品を作りたいという一念で、山梨について調べたところ、
昔、ホップの一大産地だったことを知り、
唯一、現在もホップ栽培を続けている浅川さんの元へと
教えを請いにやってきました。

今では、1.2haもの面積で、二十種類ものホップを栽培するまでになり、
さらに面積を拡大する予定だとか。

こうして浅川さんが大切に守り続けてきた「かいこがね」の種も、
小林さんをはじめとするお弟子さんたちに継承され、
途絶えることなく生産していただけることになったのです。

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